🌋【道の駅 ひまわり①】展望台から平成新山を見上げて、雲仙普賢岳の噴火と復興を学んできました〜長崎の旅〜
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こんにちは😊
旅する園芸屋二代目しんのすけです🌱
長崎・佐賀の道の駅めぐりの旅、まだまだ続いております🚙
前回は【道の駅 太良】でした🏣
空腹で売店に突撃して、11品も買ってしまった回です(笑)😋
さて、今回はいよいよ佐賀県を抜けて、長崎県の島原半島に入りました✨
今回の道の駅は【道の駅 ひまわり】です🌻
そして、最初にお伝えしておきたいことがあります🙌
今回の記事は、いつもより少しだけ真面目なお話が多くなります🙏
ここ島原半島の雲仙普賢岳では、平成の初めに大きな噴火があり、たくさんの方が被害に遭われました🌋
この道の駅は、その災害の記憶と、そこからの復興を伝える場所でもあったんです🕊️
なので今回は①として、展望台と、そこにあったパネルを中心にご紹介します🔭
いつもの面白おかしい話は、ちょっと控えめです👍
どうぞ最後までお付き合いください😊
🏣 スタンプ長崎2・登録1998年……長崎県に入りました
まずは恒例の、アプリチェックからいきます📱
ひまわり🌻
スタンプ番号は長崎2です🚩
……ついに長崎の番号になりました🚩
佐賀編、長かったですね(笑)😆
登録年は1998年🔍
住所は長崎県南島原市深江町丁6077📍
電話番号は0957-61-0771✨
営業時間は9:00〜17:00です🙌
駐車場の台数は、アプリには載っていませんでした🅿️
そして、施設一覧のアイコンです📱
濃いのが『あり』、薄いのが『なし』👍
今回、濃かったのはこちら😊
レストラン、喫茶、公園、展望台、インフォメーション、バリアフリー、売店👀

全部で7個です✨
そして今回も、双眼鏡のマーク=展望台が濃く光っていました🔭
前回の太良に続いて、2回連続の展望台です🔭
……もちろん、今回も登りました(笑)😆
📺 子どもの頃、ずっとニュースで見ていた島原の災害
この道の駅があるのは、島原半島の南島原市深江町です🏣
島原半島と聞いて、僕がまず思い出すのは、子どもの頃に見ていたニュースです📺
雲仙普賢岳が噴火して、山から火砕流や土石流が流れ下ってきた🌋
麓の民家や商店、田畑、そしてたくさんの人を巻き込んだ災害でした🙏
当時の僕はまだ小さくて、詳しいことは分かっていませんでした(汗)😓
でも、テレビで毎日のように島原の映像が流れていたことは、今でもはっきり覚えています📺
特に1991年6月3日の大きな火砕流では、43人の方が亡くなられたり、行方不明になられたりしました🙏
報道関係の方や、消防団の方、警察官の方も含まれていたと聞きます🕊️
あらためて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします🙏
そして実は、僕の友人に、その災害当時ここに住んでいた人がいます💡
今回この道の駅に来て、その友人から聞いた話を思い出しました🚩
友人の家族は全員避難していたので、命は無事だったそうです🙏
ただ、避難先はペットが連れて行けなかったらしいんです🐕
それで、「飼っていた犬の紐を外して、逃がした」と言っていました(涙)😢
避難生活は長く続いたそうです🏠
「何年か、避難先の体育館やホテルを転々としていた」とも言っていました(驚)😳
何年も、ですよ😢
自分の家があるのに帰れない生活を、何年も続けるというのは、想像するだけで胸が苦しくなります🥲
そして、「帰って来られるようになったときには、年数が経ちすぎていて、犬はもういなかった」🐕
「助かったのかどうかは、わからない」と(涙)😢
……この話を聞いたとき、僕は何も言えませんでした🥲
どこかで誰かに拾われて、元気に暮らしていてくれたらいいなと、今でも思います🕊️
それから、もうひとつ聞いた話があります🙏
被災した当初、どうしても家に物を取りに行かないといけないことがあって、お父さんと一緒に戻ったことがあるそうです🏠
「とても怖かった😨行ってるときに何かあったら、死ぬかもしれないと思った」と言っていました😨
そして、こう続けたんです🙏
「何事もなかったから、今は笑って話せるけど……」🥲
「そういえば、家から避難所に帰ってきたとき、靴の裏が溶けていたわ」(驚)😳
……靴の裏が、溶けていた😨
当時は、それだけ地面が熱かったんですね(驚)🔥
ニュースの映像では伝わらない、そこにいた人にしか分からない怖さだと思います🙏
友人は今でこそ笑って話してくれますが、その裏には、本当にたくさんの怖さや悲しさがあったはずです🕊️
そんな話を思い出しながら、展望台に登りました👀
🔭 展望台のパネルで、山の名前と溶岩ドームを何度も見比べました
展望台に上がると、目の前に雲仙の山々がどーんと広がっていました🔭
写真を見てください🙌

駐車場の向こうに、ゴツゴツした山並みが連なっています🏔️
そして展望台には、こんなパネルがありました👀
目の前の景色の写真に、山の名前が書き込んである、ありがたいパネルです⛰️

左から、野岳(標高1,142m)🏔️
妙見岳(標高1,333m)⛰️
ロープウェイがある仁田峠(標高1,100m)🚡
普賢岳(標高1,360m)🌋
そして、いちばん高いところに平成新山(標高1,483m)🏔️
パネルには、こう書き添えてありました👍
『日本で一番新しい山』🏔️
……平成新山は、あの噴火でできた溶岩ドームなんです🌋
パネルには、溶岩ドームの場所と、火砕流被災地の場所が、黄色い線で囲んで示してありました🌋
右手には、どっしりとした眉山(標高818.7m)🏔️
……これが、本当に分かりやすいんです💡
パネルを見て、顔を上げて本物の山を見て、またパネルを見て😊
何度も見比べてしまいました(笑)👀
「あれが普賢岳で、その奥のゴツゴツしたのが平成新山か」🏔️
「火砕流の被災地は、あの山のふもとのあたりか」✨
パネルと実物を見比べると、ニュースで見ていた場所が、急に自分の目の前の景色になります🔭
この日の平成新山は、ちょうど山頂のあたりに雲がかかっていました🌋

右のほうを見ると、眉山の山肌が白く削れているところも見えました⛰️

そして左のほうは、遠くまで畑やビニールハウスが広がる、のどかな景色🙌

……かつて災害があった場所とは思えないほど、穏やかな眺めでした🕊️
🗺️ 『島原半島ユネスコ世界ジオパーク』のサイトマップ……430万年の歴史(驚)
展望台の近くには、もうひとつ大きなパネルがありました🔭
島原半島ユネスコ世界ジオパーク サイトマップ🌏
島原半島全体を上から見た航空写真に、見どころがたくさん書き込んであります👍

左下のほうに、ちゃんと『道の駅ひまわり』と現在地のマークもありました🌻
すぐ近くには土石流被災家屋保存公園の名前も見えます🏠
山のほうには、仁田峠のミヤマキリシマなんていう、園芸屋がそわそわする名前も(笑)🌸
ところで、ジオパークというのは、地球の成り立ちが分かる大地や地形を、まるごと公園のように見て楽しむ場所のことです🗺️
ユネスコに登録されたのがいつなのか、パネルからは分かりませんでした✨
気になって調べてみると、島原半島が世界ジオパークに認定されたのは2009年🌏
日本で最初の世界ジオパークのひとつなんだそうです✨
そして、パネルのいちばん下に、こんなコーナーがありました😊
島原半島のなりたち🌏
10枚の絵で、島原半島ができるまでの歴史が描かれているんです✨
最初の絵は、なんと約430万年前(驚)🗺️
海の中に、小さな火山の島がぽつんとあるだけの絵です🏔️
そこから、火山の活動をくり返して島がだんだん大きくなっていく🌋
50万年前に、雲仙火山のはじまり🌏
40万年前に、陸地とつながって島原半島になる🗺️
そして最後の絵が、約2万年前〜現在🌏
ようやく、今の島原半島の形になったんだそうです(驚)📚
……430万年🗺️
人間の歴史なんて、ほんの一瞬に思えてきます⏳
今、僕が立っているこの場所も、気の遠くなるような時間をかけて、火山が作ってきた大地なんですね🌏
🌋 1990年・1993年・2003年……3枚のパネルで見る、噴火と復興
そして、展望台にはもうひとつ、とても大切なパネルがありました👀
同じ場所を、空から撮った3枚の写真が、年ごとに並べてあるんです🔁
どの写真にも、黄色い点で『現在地』=この道の駅の場所が示してあります🏣
①1990(平成2)年8月頃📅
1枚目は、噴火が始まる前の写真です🏔️
山は緑に覆われ、麓には多くの家があり、田畑も広がっています🏡
当時いちばん標高が高かったのは普賢岳の山頂で、1,359mでした🏔️
そしてパネルには、こう書いてありました📋
『雲仙普賢岳の噴火が始まったのは、この3か月後(1990年11月)でした』🌋
……この写真を撮った、たった3か月後です🙏
写真の中の、のどかな町並みや田畑を見ていると、胸が締めつけられる思いがしました🥲

②1993(平成5)年10月頃📷
2枚目は、噴火が始まってから3年後の写真です🌋
山頂には溶岩ドームが成長しています🌋
そして、山の斜面から麓にかけて、灰色の筋が太く伸びているのが分かります⚠️
火砕流と土石流が流れ下った跡です⚠️
灰色の筋は、麓の町や田畑を飲み込んで、海まで届いていました(驚)😨
パネルには『道路は寸断され、多くの家屋と田畑が被害に遭いました』と書いてあります🏠
そして、黄色い点の現在地を見てみると……📍
……灰色の筋の中にありました😨
この道の駅のあたりにも、土石流が流れてきていたんです(驚)⚠️
今、このあたりを見渡しても、その面影はまったくありません🕊️
だからこそ、この写真を見たときの衝撃は大きかったです🙏

③2003(平成15)年2月頃📅
3枚目は、さらに10年後の写真です🌱
パネルには、『噴火が終息した1995年から8年後の様子』と書いてありました(驚)🕊️
噴火が始まったのが1990年で、終わったのが1995年📅
……およそ4年半もの間、噴火が続いていたことになります🌋
写真を見ると、山から海に向かって、まっすぐな導流堤が作られていました🏗️
これは、火砕流や土石流が町に広がらないように、決まった道を通して海まで流すための堤防です🏗️
そして、『道路、宅地、田畑などが再整備されました』とも書いてありました🏡
……「ちゃんと復興しているんだな」と、思わずホッとしました🕊️
1993年の写真で灰色に埋もれていた場所に、また四角い田畑が並んでいるんです🌾

そしてもうひとつ、驚いたことが書いてありました😳
『噴火で誕生した溶岩ドームである「平成新山」の標高は1,483mで、山頂の標高は120m以上も高くなりました』🌋
……120m以上(汗)😅
1990年の写真では、いちばん高い普賢岳の山頂が1,359mでした🏔️
それが噴火で溶岩が積み上がって、1,483m🌋
山が、120m以上も背が高くなったんです🙌
「そんなに高くなったんだ」って、本当にびっくりしました(汗)😅
ビルでいうと、だいたい40階建てくらいの高さです🏢
それが、たった数年で、山のてっぺんに積み上がった😳
自然の力の大きさを、あらためて思い知らされました🌋
3枚のパネルの内容を、年表にまとめるとこんな感じです📝

⚠️ 『土石流発生のメカニズム』……家の壁を突き破るほどの破壊力(驚)
最後に、もう1枚のパネルをご紹介します👍
土石流発生のメカニズム⚠️
絵と文字で、とても分かりやすく解説されていました😊

まず、上の段の流れはこうです✨
溶岩ドーム崩落 → 火砕流 → 雨 → 土石流⚠️
①火道(マグマの通り道)を上がってくるマグマの中に、水蒸気などの火山ガスが泡をつくる🌋
②溶岩ドームが崩れ落ちると、中に閉じ込められていた火山ガスが一気にふくらんで、火砕流が発生する⚠️
③そこに雨が降ると、火山灰まじりの重い泥水ができて、大きな岩を浮かべるように流れ始め、土石流になる🌧️
……火砕流が積もったところに雨が降ると、今度は土石流になる⚠️
噴火が止まっても、雨が降るたびに危険が続いていたということなんですね🌧️
そして下の段には、土石流の威力が書いてありました🙌
『川の中を流れる土石流は、狭いところを流れるので、大きな破壊力をもっている』⚠️
『川からあふれ出した土石流は、薄く広がるように流れるため、破壊力が弱まる』📋
そして、その横に1枚の写真がありました📷
瓦屋根の家が、屋根の近くまで土砂に埋まっている写真です🏠
写真の下には、こう書いてありました📋
『土石流は壁を突き破り、家の中を流れた⚠️』⚠️
……家の壁を、突き破るんです(驚)😨
その破壊力に、ただただびっくりしました😨
友人が「行ってるときに何かあったら死ぬかも」と言っていた意味が、このパネルを見て、ようやく少しだけ分かった気がしました🙏
サイトマップにあった土石流被災家屋保存公園は、この道の駅のすぐ近くです🗺️
このパネルの写真の家も、そこにあるのかもしれません🏠
🌱 園芸屋の豆知識:赤玉土も鹿沼土も、実は“火山の恵み”なんです
さて、園芸屋の豆知識のコーナーです🪴
今回は、火山と植物のお話をさせてください🌿
火山は、ときに大きな災害をもたらします🌋
でも実は、僕たち園芸屋が毎日のように使っている土の多くが、火山から生まれたものなんです🌱
①園芸用土の多くは、火山の恵み🌋
園芸店やホームセンターに並んでいる土を、思い浮かべてみてください🪴
赤玉土、鹿沼土、軽石、日向土🪴
実はこれ、みんな火山が噴き出したものが元になっているんですよ🏔️
赤玉土は、関東ローム層という、火山灰が積もってできた赤土を、粒の大きさでふるい分けたものです🧱
鹿沼土は、栃木県の鹿沼のあたりで採れる土で、遠くの火山から飛んできた軽石が積もって、風化したものです🪴
軽石は、マグマの中のガスが抜けて、穴だらけになって固まった石🌋
日向土は、宮崎県で採れる軽石の一種で、ボラ土とも呼ばれています🧱
そして畑でよく見る、黒くてふかふかした黒ボク土も、火山灰が元になった土です🪴
……日本の園芸は、火山の上に成り立っていると言ってもいいくらいなんです🏔️
それぞれの土の特徴を、図にまとめておきます📝

②赤玉土の使い方🧱
赤玉土は、水はけ・水持ち・肥料持ちのバランスがいい、園芸の基本の土です🪴
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ほとんどの鉢植えの土は、赤玉土をベースにして作られています🧱
小粒・中粒・大粒とサイズがあって、小さな鉢には小粒、大きな鉢や鉢底には大粒を使います🪴
使う前には、ふるいにかけて、細かい粉(みじん)を取り除くのがコツです🪴
みじんが残っていると、水やりのたびに粒のすき間を埋めて、水はけが悪くなってしまうんですよ🧱
そして赤玉土は、何年か使うと粒がくずれてきます🪴
粒がくずれて泥のようになると、根っこが息苦しくなる😣
鉢植えの植え替えが必要なのは、実はこれも大きな理由のひとつなんです✂️
③鹿沼土の使い方🧱
鹿沼土は、酸性で、とても水はけがいい土です🪴
乾くと白っぽく、濡れると黄色っぽくなるので、水やりのタイミングが色で分かるのも便利なところです💧
酸性の土が好きな植物、たとえばサツキ、ツツジ、ブルーベリーなどにぴったりです🌺
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……そうです💡
サイトマップにあったミヤマキリシマも、ツツジの仲間なんですよ🌸
雲仙の山に咲くミヤマキリシマは、まさに火山の土の上で育っている植物なんです🌺
逆に、酸性の土が苦手な植物には使わないでください🪨
太良の回でご紹介したビーツや、鹿島②のスナップエンドウには、鹿沼土は向いていません🫛
④軽石・日向土の使い方🧱
軽石や日向土は、粒が硬くてくずれにくいのが特徴です🪴
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なので、鉢底石として使ったり、水はけを良くしたいときに土に混ぜたりします🧱
多肉植物やサボテン、山野草、ランなど、根腐れしやすい植物の土に混ぜると効果的です🌬️
鹿島③でご紹介した鉢かけと組み合わせれば、水はけは完璧です(笑)🪴
⑤黒ボク土の注意点🧱
黒ボク土は、ふかふかで水持ちもいい、いい土です🪴
ただ、ひとつだけクセがあります👍
リン酸という肥料を、土がくっつけて離さないんです🧪
リン酸は、花や実をつけるのに大事な肥料なんですが、黒ボク土の畑では、まいても植物が吸いにくい🧱
なので、黒ボク土の畑では、リン酸の肥料を少し多めにやるのが昔からのコツなんです🪴
⑥溶岩の上に、緑が戻るまで😊
そしてもうひとつ、火山と植物のお話をさせてください🍃
噴火で溶岩や火山灰に覆われた土地は、最初は植物がまったく生えていない、むき出しの地面になります🌋
でも、そこにも少しずつ、植物は戻ってきます🌿
最初にやってくるのは、コケや地衣類(ちいるい)という、とても小さな生き物です🪨
岩の表面にへばりついて、何年もかけて、ほんの少しずつ岩をくずし、土を作っていきます✨
土が少しできると、次はススキやイタドリなどの、たくましい草がやってきます🌾
草が枯れて、さらに土が豊かになると、日当たりの好きな低い木が育ちはじめる☀️
そして長い長い時間をかけて、最後には森になっていく🌳
こういう移り変わりのことを、遷移(せんい)と呼びます🌱
何もない溶岩の上から森ができるまでには、何十年、何百年という時間がかかると言われています🌏
この流れも、図にまとめておきます📱

2003年のパネルで、灰色に埋もれた土地に、また田畑が戻っていた写真を見ました🌾
人の暮らしも、植物も、時間をかけて、少しずつ戻ってくるんですね🌱
僕が毎日、何気なく手に取っている赤玉土や鹿沼土も、元をたどれば、どこかの火山が噴き出したものです🌋
そう思うと、一袋の土にも、ちょっと手を合わせたくなります🙏
火山の恐ろしさと、火山の恵み🌋
その両方を、この島原半島で教わった気がしました🙏
📝 今回のまとめ
というわけで、【道の駅 ひまわり①】でした🌻
スタンプ番号は長崎2です🚩
今回のポイントを整理します🙌
①子どもの頃の記憶と、友人の話……犬を逃がした話、何年も続いた避難生活、溶けた靴の裏🙏
②展望台のパネル……山の名前と溶岩ドーム、火砕流被災地の場所が分かりやすく、何度も見比べました🔭
③島原半島ジオパーク……約430万年前の小さな島から、約2万年前に今の形に🗺️
④3枚のパネル……1990年の緑の町、1993年の火砕流と土石流、2003年の復興🌋
⑤平成新山……標高1,483m、噴火で山頂が120m以上も高くなった日本で一番新しい山🏔️
⑥土石流のメカニズム……溶岩ドーム崩落→火砕流→雨→土石流、壁を突き破るほどの破壊力⚠️
⑦園芸屋の豆知識……赤玉土・鹿沼土・軽石は火山の恵み、溶岩の上にも少しずつ緑が戻る🌱
今回は、いつもより真面目な記事になりました🙏
でも、ニュースで見ていた場所に実際に立って、パネルと本物の山を見比べて、友人の話を思い出して🔭
……この場所に来られて、本当によかったと思っています🕊️
道の駅は、ただ買い物をして休憩する場所じゃない🏣
その土地の歴史や、そこで暮らしてきた人たちの思いを伝えてくれる場所でもあるんだと、あらためて感じました🙏
島原半島に行かれる方は、ぜひこの展望台に上がってみてください🔭
🔜 次回予告
さて、次回です➡️
【道の駅 ひまわり②】をお届けします🌻
道の駅 ひまわりには、まだまだご紹介したいものがあります🌻
次回も、ぜひお付き合いください🛣️
それでは、また次の記事でお会いしましょう👍
旅する園芸屋二代目しんのすけでした🌱
旅をした時に見かけた植物を園芸屋とゆう目線で楽しく紹介していこうと思います。
「一般的に紹介されている育て方をすると育たない」
とゆう声を聞いてブログを始めました
