こんにちは😊

旅する園芸屋二代目しんのすけです🌱

長崎・佐賀の道の駅めぐりの旅、まだまだ続いております😄

前回は【道の駅 長崎街道鈴田峠】でした✨

峠のてっぺんで、鶏ピー飯の「ピー」がピーナッツだったことに驚き、野鳥の森レストランが不定休で閉まっていたことに涙した、あの回です😳

あそこは本当に「峠」でした🙌

山と木と道しかない⛰️

施設一覧のアイコンも、全部うすい色😌

つまり、何も無い💡

でも、それが良かった👀

余計なものが無い、峠を越える人がちょっと止まるだけの場所😆

そんな場所から、車を走らせること約1時間⏰🌸

次に向かったのは、【道の駅 彼杵の荘】です💡

読み方、分かりますか😳

……🍀

「かれきねのそう」ではありません😁

「ひきねのしょう」でもありません😊

正解は、『そのぎのしょう』です😄

そのぎ✨

東彼杵町(ひがしそのぎちょう)の、そのぎです🙌

初見で読める人、たぶん長崎県民か、よほどのお茶好きだけだと思います(笑)😂

そう、東彼杵といえば「そのぎ茶」の産地なんですよね🍵

お茶の名前で聞いたことがある、という方は多いんじゃないでしょうか😌

園芸屋なので、お茶の木の話もいずれしたいところですが、それはまた別の回で🍵

今回のこの道の駅、実は僕、到着してから思わず声が出ました👀

「え、ここ、古墳あるやん」😆

そうなんです🌸

道の駅の敷地に、古墳があるんです💡

しかも、ただの古墳じゃありません😳

長崎県内最大級の前方後円墳です🍀

県指定史跡です😁

道の駅で、県指定史跡😊

この時点で、もう普通の道の駅じゃないことは分かりますよね(笑)😆

さらに、歴史民俗資料館まで併設されています📚

買い物して、ご飯食べて、ついでに1600年前の古墳を見る😋

そんな道の駅、他にあります?😄

というわけで今回は、情報量が多すぎて1本に収まりませんでした💡

【道の駅 彼杵の荘①】として、まずは古墳と歴史公園のパートをお届けします📚

売店の戦利品は、次回の②でたっぷりご紹介しますね🛍️

それでは、いってみましょう✨

🏺 まずは恒例、道の駅の基本情報から

いつものように、道の駅スタンプのアプリを開きます🙌

これ、毎回やっていると、だんだんスタンプ帳を見るのが楽しみになってくるんですよね😆

じゃじゃーん😌

【道の駅 彼杵の荘】、ふりがなはやっぱり『そのぎのしょう』🙌

アプリにもちゃんと「そのぎのしょう」って書いてありました🔖

読めなかった自分を、ちょっとだけ許してあげたい(笑)🤣

スタンプ番号は『長崎4』です👀

長崎県に入ってから、4番目に登録された道の駅、ということですね😆

ちなみにこれまでの流れを思い出すと、長崎県の道の駅をずいぶん回ってきました😌

させぼっくす99、さいかい、そとめ、251いいもりじゃがーロード、長崎街道鈴田峠🌸

そして今回の彼杵の荘💡

番号が「長崎4」ということは、かなり初期に登録された、歴史ある道の駅ということになります📚

チェックインは1回😳

更新日は2026年2月16日(月)🍀

スタンプの中心には『道の駅めぐり』の文字、そして下に「2026年02月16日」の日付が入っています🔖

そして、その背景😁

薄い緑色で、何かの形が描かれているんです😊

最初は、ただの模様かと思っていました😌

でも、よく見てください👀

これ、日本列島です😄

しかも、四角いブロックを積み上げたような、ドット絵みたいなタッチ✨

北海道から、本州、四国、そして九州まで🌊

言われてみれば、たしかに日本の形をしています🙌

なるほど、と思いました💡

これ、全国の道の駅を巡るスタンプラリーですからね😌

背景が日本列島なのは、当然といえば当然です👀

そして今の僕は、その列島のいちばん西の端っこにいるわけです💡

スタンプを押すたびに、この列島のどこかに、自分の足跡がひとつ増えていく😆

そう思うと、ただのデジタルスタンプが、急に味わい深く見えてきました(笑)😅

基本情報も見ていきましょう👀

住所は〒859-3807 東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷747番地2📍

……ちょっと待ってください😁

住所、もう一回読んでもらえますか📍

彼杵「宿」郷😊

宿、って入ってるんです😄

これ、前回の記事を読んでくださった方は、ピンと来たんじゃないでしょうか✨

そう、長崎街道です🙌

前回の鈴田峠は、まさに「長崎街道」の名がついた道の駅でした😌

砂糖が長崎から小倉まで運ばれた道、通称シュガーロード👀

その長崎街道には、いくつも宿場町がありました😆

彼杵は、その宿場町のひとつだったんです🌸

だから住所が「彼杵宿郷」📍

地名って、ほんとに正直ですよね💡

前回、落花生の話で「名前は嘘をつかない」と書きましたが、今回は地名が嘘をつきませんでした(笑)😂

しかも彼杵は、長崎街道の中でも特別な宿場でした😳

ここから大村湾を船で渡る渡し場があったんです🍀

陸路と海路の乗り換えポイント🌊

今でいうターミナル駅みたいなものですね😁

そんな場所が、時代を超えて、今また道の駅になっている😊

ちょっと鳥肌が立ちませんか😄

営業時間は9:00〜18:00です⏰✨

9時間営業⏰🙌

前回の鈴田峠が8:00〜19:00の11時間営業で、「峠は生活道路だから朝早くから夜まで開いてるんだな」と感心したところでした😌

それに比べると、彼杵の荘はごく標準的な時間帯👀

ここは峠じゃなくて、町だからですね😆

電話番号は0957-49-3311📞

そして駐車場🅿️

ここ、けっこう驚きました😳

大型:3台 普通車:33台🌸

……少なくないですか(笑)😆

大型トラックが3台しか停められません🅿️

普通車も33台💡

これまで回ってきた道の駅は、100台以上停められるところもザラでした🅿️

県内最大級の古墳があって、資料館があって、レストランもあって📚

それでこの駐車場の台数🅿️

つまり、敷地のほとんどが古墳と公園ってことなんですよね💡

駐車場を削ってでも、古墳を残した🅿️

そう考えると、この33台という数字が、逆にかっこよく見えてきました😳

さて、毎回チェックしている施設一覧のアイコン🍀

これ、以前の記事でも書きましたが、色がついているアイコンだけが「実際にあるもの」です😁

うすい色のアイコンは「ありません」という意味😋

前回の鈴田峠は、なんと全部うすい色でした(笑)🤣

さて、彼杵の荘はどうでしょうか😊

じっくり見てみました👀

しっかり色がついていたのは、次の6つです😄

ひとつめ、スプーンとフォークのアイコン✨

レストランがあります🙌

ふたつめ、コーヒーカップのアイコン😌

軽食・喫茶ができます🍵

みっつめ、木とベンチのアイコン👀

公園があります😆

これはもう、歴史公園そのものですね📚

よっつめ、神殿みたいな建物のアイコン🏠

柱が並んでいて、三角屋根🌱

これ、博物館・資料館のマークです📚

彼杵の荘には歴史民俗資料館がありますから、ここが点灯しているわけです💡

僕、これまでいくつも道の駅を回ってきましたが、このアイコンが色付きになっているのは初めて見ました🌸

ちょっと感動しました(笑)😅

いつつめ、車椅子のアイコン💡

バリアフリー対応です😳

むっつめ、お店のアイコン🏠

売店です🛍️

これは道の駅なら当然ですね🍀

逆に、うすかったのはこちら😁

ATM、赤ちゃんのマーク、ベッド、温泉、テント、双眼鏡、ガソリンスタンド、EV充電、Wi-Fi、シャワー、遊具、案内所😊

宿泊も温泉もキャンプもありません😄

ガソリンスタンドもEV充電もなし✨

Wi-Fiもなし🙌

つまり、「泊まる」「充電する」系はゼロ💡

その代わり、「食べる」「見る」「学ぶ」がしっかり揃っている😋

道の駅って、ほんとに性格がハッキリ分かれるんですよね😌

鈴田峠は「峠の休憩所」でした👀

彼杵の荘は、「歴史を見に来る場所」です📚

アイコンを見るだけで、その道の駅がどういう顔をしているのか分かる👀

この見方、覚えてからほんとに楽しくなりました😆

時刻は11時53分⏰😆

前回の鈴田峠のチェックインが10時42分だったので、約1時間後ですね⏰🌸

お昼前💡

……お腹、空いてきましたね(笑)😂

でもその前に、まずは古墳です😳

だって、道の駅に古墳があるなんて、そうそう無いですから🍀

⛲ 敷地に入ったら、いきなり『歴史公園』と巨大な水車

車を停めて、敷地に足を踏み入れます🅿️

そうしたら、いきなり目に飛び込んできたものがありました👀

大きな、大きな、黒い石の看板です🔖

磨き上げられた黒御影石みたいな柱に、銀色の文字がずらり😁

『歴史公園 彼杵の荘』📚

縦書きです😊

かっこいい😄

道の駅の看板というより、もう完全に史跡公園の入口の佇まいです🔖

文字が立体的に浮き上がっていて、しかも一文字一文字が大きい✨

これ、けっこうお金かかってますよね(笑)😆

そしてその隣に、もっと目立つものがありました🙌

水車です😌

それも、めちゃくちゃ大きい👀

人の背丈をゆうに超える、木製の大水車😆

石垣の上に据えられていて、見上げる感じになります😌

車輪の部分は木の板を放射状に組んであって、外周にはバケット(水を受ける箱)がぐるっと並んでいます🌸

中心の軸には、これまた立派な木の梁🌱

赤茶色に塗られた土台の板も、いい味を出しています🍵

ただし🐟

動いていません(笑)🤣

じーっと見ていたんですが、微動だにしません👀

水も流れていませんでした💡

2月の平日、しかも曇り空😳

たぶん冬場は止めているんでしょうね❄️

水を回しっぱなしにすると、凍ったり、木が傷んだりしますから🩹

動いている姿、見たかったなあ👀

あの大きさの水車がゴトン、ゴトンって回ったら、絶対かっこいいです🍀

でも、止まっていたおかげで、じっくり構造を観察できました😁

これはこれで、良しとしましょう😊

空はどんよりした曇り😄

雲が低くて、重たい灰色です✨

その下に、黒い石碑と、茶色い水車🍵

なんというか、時代劇のオープニングみたいな絵でした(笑)😅

看板の向こうには、電線と、遠くの山と、民家の屋根🏠

そして水車の奥に、なにやら黄土色の大きな丘のようなものがチラリと見えます🙌

あれは何だろう😌

この時点では、まだ分かっていませんでした👀

あとで分かるんですが、あれこそが古墳だったんです😆

💧 『切間石』という説明看板、読んでみたら唸りました

水車のあたりを歩いていたら、木枠の説明看板を見つけました🔖

丸太を組んだような、しっかりした枠🌸

中は白い板に、縦書きの黒い文字がびっしり🔖

タイトルを読み上げます💡

『切間石(きりまいし)』😳

きりまいし🍀

……聞いたことがありません😁

切る、間、石😊

字だけ見ても、さっぱり見当がつきません👀

石を切る道具?😄

それとも、切り出した石?✨

正直、この時点では「何のこっちゃ」状態でした(笑)😂

でも、せっかくなので読んでみることにしました🙌

旅の途中で説明看板を読むの、僕は好きなんです🔖

だいたい面白いことが書いてありますから😆

そして今回も、大当たりでした😌

本文を紹介しますね👀

「切間は、溜池から水田に灌漑用水を配水するとき、その地区水田の水量を決めるためのものです」😆

……🌸

……なるほど〜💡

思わず声が出ました(笑)😆

溜池から水田へ水を流すとき、どこの田んぼにどれだけ水を配るか💡

それを決めるための、仕切りだったんです😳

「切間」の「切」は、水を切り分けるの切🍀

「間」は、そのすきまの間😁

つまり、水を分ける隙間の石💡

名前、そのまんまでした😊

前回、落花生の話で「名前は嘘をつかない」って書きましたが、今回も嘘つかない系でした(笑)🤣

続きも面白いんです😆

「この切間石は中堤(灌漑面積十三・九ヘクタール)に十一ある切間のうち、第九番目の切間に使われていたものを、平成八年に中岳水利組合から譲り受けました」😄

細かい✨

細かすぎます(笑)😅

でも、この細かさがいいんですよ🙌

整理してみましょう😌

「中堤」という溜池があります👀

そこから水を引いている田んぼの面積が、13.9ヘクタール😆

東京ドームだと、だいたい3個分くらいですね🏠

前回の記事で「東京ドーム39個分のじゃがいも畑」の話をしましたが、それに比べると可愛いものです(笑)😂

いや、でも13.9ヘクタールって、十分広いですからね🌸

一般的な家庭菜園の、ざっと千倍以上です💡

その13.9ヘクタールに水を配るために、切間が11か所ある😳

そして展示されているのは、9番目の切間に使われていた石🍀

……9番目😁

11ある中の、9番目😊

なぜ9番目だけが、ここに来たのか😄

理由は書いてありませんでした(笑)😆

でも、僕はこの「9番目」という具体性がたまらなく好きです✨

「昔使われていた石です」で済ませずに、ちゃんとどこの何番目かまで記録して伝える🙌

これ、東彼杵町教育委員会の仕事っぷり、素晴らしいと思いませんか😌

譲り受けたのは平成8年👀

1996年ですね😆

ということは、この展示は30年近くここにあることになります🌸

そして、最後の一文がまた味わい深い😋

「切間が出来た当時(江戸時代)は木製の切間が使われていましたが、大正時代以降は石の切間が使われ、現在はコンクリート製に変わりました」💡

これ、すごくないですか😳

木 → 石 → コンクリート🍀

材料が、時代とともに変わっていったんです😁

江戸時代は木😊

大正時代からは石😄

今はコンクリート✨

同じ目的のものが、手に入る材料と技術に合わせて、姿を変えていく🙌

これって、道具の進化の歴史そのものですよね📚

そして、その「石だった時代」の現物が、ここに置いてある😌

……という説明を読んで、僕は当然、実物を探しました👀

探しました😆

けっこう本気で探しました🌸

でも💡

どれか分かりませんでした(笑)🤣

いや、あたりを見回すと、石はいっぱいあるんですよ😳

石垣の石、敷石、庭石🍀

水車の土台の石垣も立派です😁

でも「これが切間石です」という決定打が見つからない😊

たぶん、看板のすぐそばにあったんだと思います🔖

看板の右下には、写真も貼ってあったんです📸

苔むしたような、緑がかった石の写真😄

ただ、経年でだいぶ色あせていて、はっきりとは分かりませんでした✨

あと、看板の一番左に、こんな一文もありました🔖

「この切間の模型設置に係る費用の一部は、社会福祉法人『もみの木会』理事長・江島昭尚氏から頂いた寄付金を充当しました」🙌

……模型?😌

模型なんだ(笑)😅

実物の石を譲り受けて、その使われ方が分かるように模型として再現して設置した、ということみたいです👀

なるほど、石だけポンと置いてあっても意味が分かりませんもんね😋

溜池と水路と切間石の関係が分かるように、ミニチュアで作ってある😆

そして、その費用を地元の方が寄付してくれた🌸

名前まで刻んで💡

この一文があるだけで、この展示の温度が全然違って見えてきます😳

町の人が、自分たちの田んぼの歴史を残したかったんだな、って📚

結局、実物は見つけられませんでした🍀

でも、説明を読んだだけで、僕はもう大満足でした😁

こういうのが、旅の面白さなんですよね😆

🌱 園芸屋の豆知識:水を『分ける』という発想が、じつはすごい

さて、ここからは恒例の園芸屋豆知識のコーナーです🌱

今回は、この切間石から広げていきましょう😊

植物を育てるうえで、水は絶対に欠かせません🌱

光、温度、土、そして水😄

うちみたいな根付きの植物を扱う園芸屋にとっても、水やりは一番の基本で、一番の難関です🌱

で、家庭菜園や鉢植えの水やりって、基本は「足りているか、足りていないか」の話ですよね✨

乾いたらあげる🙌

乾いてなかったら、あげない😌

ここまではシンプルです👀

ところが、田んぼの水はまったく別次元の話なんです😆

田んぼの水は、「分ける」ものなんですよ🌸

これ、すごく大事なポイントです💡

まず、田んぼの水がどこから来るか😳

雨、川、そして溜池です🍀

特に日本の西の方は、平地が狭くて川も短いので、溜池がめちゃくちゃ重要でした😁

山あいに堤を築いて、雨水を溜めておく⛰️

それを田植えの時期に、一気に流す😊

ここまではイメージできますよね😄

問題は、そこからです✨

溜池の水は、有限なんです🙌

池の水は、使えば減ります😌

そして雨は、いつ降るか分かりません👀

つまり、限りある水を、複数の田んぼで分け合わないといけない💡

ここで、人間関係が発生します(笑)😂

上流の田んぼが水を独り占めしたら、下流は干上がります😆

逆に下流に流しすぎたら、上流が困ります🌸

しかも、田んぼの面積は家ごとに違う💡

広い田んぼには多く、狭い田んぼには少なく😳

これを、毎年、毎日、公平にやらないといけない🍀

……想像しただけで、しんどいですよね(笑)😆

実際、日本の農村では「水争い」が絶えませんでした😁

水をめぐって村同士が対立したり、裁判になったり、ひどい時は死人が出たという記録もあるほどです😊

水は、命だったんです😄

そこで登場するのが、切間です✨

これ、発想がものすごく賢い🙌

水路の分岐点に、決まった幅・決まった深さの切り欠きを作っておくんです😌

すると、そこを通る水の量は、自動的に決まります👀

幅が広ければ多く流れる😆

狭ければ少なく流れる🌸

つまり、水の量を、石の形で固定してしまったわけです💡

これがどれだけ画期的か、分かりますか😳

人が見張らなくていいんです🍀

誰かがズルをしようとしても、石の幅は変えられない😁

「今年はうちが多めに」なんて口論も起きない😊

石が、黙って、公平に、水を分け続ける😄

いわば、江戸時代のアナログ自動制御装置ですよ✨

電気も使わない🙌

動く部品もない😌

ただ、石に切り欠きを入れただけ👀

それで何百年も、村の平和を守ってきた😆

……かっこよすぎませんか(笑)🤣

ちなみに、この「決まった量を分ける」仕組みには、ちゃんと名前があります🌸

定量分水、あるいは円筒分水といった技術です💡

全国には、円筒形の構造物から水が均等にあふれ出る「円筒分水工」という、見た目もかっこいい施設が今も残っています👀

噴水みたいに水が湧き出て、それが決まった割合で何方向かに分かれていく😳

あれを初めて見たとき、僕は「人間って賢いなあ」と本気で思いました👀

切間石は、その原始的でありながら本質を突いた、ご先祖様バージョンなんですね🍀

そして材料の話😁

看板にあった木 → 石 → コンクリートの流れ🔖

これ、園芸の世界とまったく同じなんですよ🌱

植木鉢を考えてみてください😊

昔は素焼きの鉢が主流でした🌱

その前は木桶や竹かごも使われていました😄

今はプラスチック鉢が圧倒的に多い🌱

軽くて、割れなくて、安いですから✨

支柱だって、昔は竹一択でした🙌

今はプラスチックでコーティングした鋼管が当たり前です😌

ビニールハウスの被覆材も、油紙からガラス、そしてビニールへ👀

目的は変わっていないのに、材料だけが時代とともに入れ替わっていく😆

切間石と、まったく同じ道をたどっているんです🌸

そして面白いのは、古い材料が完全には消えないということ😆

素焼き鉢は今でも根強い人気があります🌱

理由は、通気性と水はけ💡

プラ鉢より乾きやすいので、根腐れしやすい植物にはむしろ素焼きの方が向いているんです🌱

竹の支柱も、自然な風合いが好まれて今でも売れています🌬️

進化は「上書き」じゃなくて、選択肢が増えるということなんですよね💡

切間石も、コンクリートに置き換わった後も、こうして展示されて残っている😳

役目を終えた道具が、教える側にまわる🍀

なんだか、いい話だと思いませんか😌

最後に、水やりの話でひとつ実用的なことを😁

「分ける」という発想は、鉢植えにもそのまま使えます🌱

よく「植物に水をやりすぎて枯らした」という話を聞きますよね😊

あれ、実は水の量の問題ではないことがほとんどなんです😄

本当の原因は、水が抜けていかないこと✨

受け皿に水が溜まりっぱなし🙌

鉢底の穴が詰まっている🌱

土がカチカチに固まって、水が通らない😳

こうなると、根が呼吸できなくなって腐ります🌱

つまり、入れる量より、出ていく道の方が大事なんです💡

田んぼの切間とまったく同じで、水の通り道を設計することが本質なんですよ😌

だから僕がおすすめしているのは、こうです👀

水やりは、鉢底からしっかり流れ出るまで、たっぷり🌱

そして、受け皿に溜まった水は必ず捨てる😆

ちょろちょろ毎日あげるのが一番良くありません🌸

表面だけ湿って、中は乾いたまま💡

しかも塩類が土に溜まっていきます🧂

たっぷりやって、しっかり抜く😳

入口と出口をセットで考える🍀

江戸時代のご先祖様は、それを石でやっていたわけです💡

道の駅の片隅にある石ひとつで、ここまで話が広がる😁

だから旅はやめられません(笑)😅

⛰️ 『彼杵の古墳(ひさご塚)』は、すぐに分かりました(笑)

切間石は見つけられませんでしたが、古墳は一瞬で分かりました😊

そりゃそうです😄

デカいんですもん(笑)😂

視界の中に、明らかに周りと違う盛り上がりがあるんです✨

それも、山みたいに自然な形じゃなくて、人が積んだ形⛰️

こんもりとしていて、左右がきれいに対称🙌

「あ、これだ」と一発で分かりました😌

しかも、真正面から見ると、これがまた良い形なんです👀

なだらかな裾野から、ゆるやかに立ち上がって、てっぺんで丸くおさまる😆

鏡餅みたいな、おまんじゅうみたいな、絶妙なカーブ🌸

そして色が、また印象的でした💡

全体が黄土色なんです😳

2月ですからね🍀

墳丘は一面、冬枯れの芝生に覆われていました❄️

青々とした緑ではなく、麦わら色というか、きつね色というか😁

曇り空の下だと、これがまた渋いんですよ😊

巨大な、きつね色のおまんじゅう😄

……お腹が空いていたせいかもしれません(笑)😆

左の方に、黒い柱が立っていました✨

白い文字で『ひさご塚古墳』と書いてあります🔖

ひさご塚🙌

ひさごというのは、ひょうたんのことです😌

漢字だと「瓢」と書きます👀

つまり、ひょうたんの形をした塚💡

なるほど、と思いました😌

前方後円墳って、真上から見るとちょうど鍵穴の形をしていますよね👀

教科書では「鍵穴形」と習った記憶があります😆

でも、鍵穴なんて概念が無い時代の人が見たら、これはひょうたんに見えたはずなんです👀

丸い部分と、細長い部分🌸

くびれがある💡

完全にひょうたんです😳

昔の人のネーミングセンス、素敵じゃないですか🍀

園芸屋としても、ひょうたんは親しみのある植物なので、ちょっと嬉しくなりました🌱

ひょうたんはウリ科ユウガオ属😁

実はあのかんぴょうと同じ仲間です😊

昔から水筒や酒器として使われてきた、人類最古の栽培植物のひとつとも言われています🍶

そんな身近な植物の名前が、1600年前のお墓についている🌱

地名も、植物の名前も、ちゃんと生き残るんですね😄

墳丘の斜面に、小さな白い看板が刺さっていました🔖

近づいて読んでみます✨

『古墳(昔のお墓)です』🙌

……はい😌

その通りです(笑)🤣

そして下に、こう続きます👀

「登ったり 芝生で滑り降りたりしないようにしましょう😆」

滑り降りたり🌸

……滑り降りる人がいるんだ(笑)😅

看板に書いてあるということは、実際にやる人がいるということです🔖

いや、分かります💡

めちゃくちゃ分かります😳

あの傾斜、あのなめらかさ、あの広さ🍀

子どもだったら、絶対にダンボール持って登りたくなります😁

僕も正直、ちょっとだけ「気持ちよさそうだな」と思いました(笑)😂

でも、ここはお墓です😊

しかも、県指定史跡です😄

横にはちゃんと英語と、たぶん中国語と韓国語でも注意書きが添えられていました✨

世界中から滑り降りたい人が来るんでしょうか(笑)😆

ちなみに、この注意書きにはちゃんとした理由があります💡

それは後ほど、豆知識のコーナーでたっぷり説明しますね🙌

実はこの芝生こそが、この古墳を1600年間守ってきた立役者なんです😌

📜 説明看板がすごかった:数字で殴ってくる古墳

古墳のそばに、しっかりした木枠の説明看板が立っていました🔖

切間石のものと同じデザインの、丸太風の枠🌬️

白い板に、縦書きの文字がびっしりです🔖

読んでみましょう👀

一番上に、小さく『長崎県指定史跡』😆

そして大きく、『彼杵の古墳(ひさご塚)』🌸

右下に「昭和二十五年四月十日 指定」とあります💡

昭和25年、つまり1950年😳

戦後まもなくです🍀

日本がまだ復興の真っ最中だった頃に、ここはもう史跡に指定されていたんですね😁

それだけ大事にされてきた場所だということです😊

次に指定理由💡

「長崎県の代表的古墳で、規模も県内最大級の前方後円墳である😄」

シンプルにして、力強い✨

県内最大級🙌

道の駅の敷地に、県内最大級(笑)🤣

そして、ここからが本番です😌

数字が並びます👀

前方後円墳😆

全長     58.8m🌸

後円部直径  37.7m💡

前方部最大幅 18.5m😳

くびれ部幅  11.0m🍀

長軸の方向  N−57度−W😁

……細かい(笑)😅

いや、これがいいんですよ😊

ちょっと味わってみましょう😋

全長58.8メートル😄

これ、どのくらいか想像つきますか✨

25メートルプールが2つちょっと🙌

テニスコートの縦の長さ(約24m)の2.5倍😌

だいたい、ビル15階分を横に寝かせた長さです👀

それが、お墓ひとつ分😆

後円部の直径が37.7メートル🌸

丸い部分だけで、37.7メートルです💡

これは25メートルプールの縦より長い😳

野球のマウンドからホームベースまでが18.44メートルなので、その2倍🍀

丸い部分だけで、そんなにあるんです😁

前方部の最大幅は18.5メートル😊

こっちは四角い方ですね😄

そしてくびれ部の幅が11メートル✨

この「くびれ」という表現、いいですよね🙌

ひょうたんのくびれです😌

丸と四角のつなぎ目が、11メートルまで細くなっている👀

この数字を見ながら実物を眺めると、形が立体的に頭に入ってきます⛰️

そして最後の「長軸の方向 N−57度−W」😆

これは、古墳の長い方向が北から西に57度傾いている、という意味です😋

つまり、北西向き💡

なぜその向きなのか🌸

看板には書いてありませんでした🔖

でも、これも理由があるはずなんですよね💡

後で調べてみたくなる、こういう数字が僕は大好きです(笑)😂

次に、埋葬施設の項目💡

「石棺系石室(古墳の埋葬施設のうち、その構造が大村湾地方に多い埋葬施設である箱式石棺に類似する小型石室で、石室というより石棺に近いもの)二基😳」

……一文が長い(笑)😆

でも、丁寧なんです🍀

要するに、こういうことです😁

お墓の中身には、大きく分けて「石棺」と「石室」があります😊

石棺は、遺体を入れる箱😄

石室は、その箱を置く部屋✨

で、ひさご塚のものは、その中間らしいんです🙌

部屋というには小さくて、箱に近い😌

だから「石棺系石室」という、ちょっとややこしい呼び方になっている👀

そして、この形は大村湾地方に多いと書いてあります🔖

……大村湾😆

出ました🌸

前回の鈴田峠は、大村市にありました💡

あそこも大村湾に面したエリアです😳

今回の彼杵も、大村湾の北の端🍀

同じ湾を囲む地域なんですよね😁

1600年前から、この湾の周りはひとつの文化圏だったわけです💡

車で1時間の距離を、僕は今日、峠を越えて走ってきました🚗

その同じ範囲を、古墳時代の人たちも行き来していた😊

なんだか、急に距離が縮まった気がしませんか😄

そして副葬品のリスト✨

青銅鏡、鉄剣、鉄製矢じり、鉄製小刀(刀子)、鉄製品(斧)、ガラス玉、まが玉🙌

豪華です😌

特に注目したいのは、鉄がこれだけ出ていること👀

剣、矢じり、小刀、斧😆

5世紀の日本では、鉄は超がつく貴重品でした🌸

国内でまだ十分に作れなくて、多くは朝鮮半島から手に入れていた時代です💡

その鉄を、これだけ持って墓に入れる😳

それはもう、相当な実力者ということです🍀

そして青銅鏡とまが玉😁

鏡、玉、そして剣😊

……これ、三種の神器と同じ組み合わせですよね😄

当時の権力者の象徴が、まるっと揃っているわけです💡

そして最後の段落✨

「この古墳は、海岸に形成された砂礫丘の、標高一五m程の所に築造されており、後円部は二段に築成されている🙌」

砂礫丘(されききゅう)😌

砂と小石でできた、なだらかな丘のことです👀

海岸沿いに、波や川が運んだ砂利が積もってできる地形ですね🌊

標高15メートル😆

海のすぐそばの、ちょっと高いところ🌊

これ、選ぶ理由がちゃんとあるんですが、それも後ほど豆知識で触れますね💡

「後円部は二段に築成されている🌸」

二段です💡

丸い部分が、階段状に二段になっている😳

ケーキみたいな構造ですね🍀

これ、単に高く積むより、はるかに手間がかかります😁

でも、その分崩れにくい😊

そして見た目が壮大になる👀

下から見上げたときの迫力が全然違うんです😄

計算されてます✨

そして締めの一文🙌

「県内最大級の前方後円墳で、五本の指に入る大きさである😌五世紀の前半から中ごろにかけて大村湾周辺地域を統治した首長の墓と考えられている👀」

五本の指に入る😆

五世紀の前半から中ごろ🌸

大村湾周辺地域を統治した首長の墓💡

……つまり、ここに眠っているのはこの一帯のボスです😳

5世紀前半といえば、西暦400年代の前半🍀

今から約1600年前です😁

1600年😊

想像できますか😄

僕には、ちょっと無理でした(笑)🤣

うちの店がどれだけ頑張っても、二代目でまだ数十年です✨

その数十倍の時間、この盛り土はここにあり続けている🙌

しかも、形を保ったまま😌

看板の最後には「長崎県教育委員会 東彼杵町教育委員会」とありました🔖

そして本文の途中に、こんな一行が👀

「詳細は、石室模型の説明板を参照😆」

……石室模型🌸

模型があるらしい💡

これは見に行くしかありません😳

さっそく、探しに行きました(笑)😅

👀 横から見ると、ちゃんと『前方後円墳』でした

説明看板を読んだあと、少し離れた位置から全体を眺めてみました🔖

そうしたら、これがすごく良かったんです🍀

正面から見たときは、ただの丸い丘に見えていました👀

でも、横にずれて見ると😁

形が見えました😊

左側に、こんもりと高い丸い部分😄

これが後円部ですね✨

そこから右に向かって、いったんくびれて🙌

そしてまた、なだらかに広がっていく😌

これが前方部👀

ひょうたんです😆

完全にひょうたんでした(笑)😂

教科書で見ていた鍵穴の形が、目の前に、実物の大きさで横たわっている👀

これ、写真や図で見るのと、実際に立って見るのとでは、まったく違います📸

圧倒的に「土」なんですよ🌸

石造りのお城やお寺と違って、古墳は土の山です⛰️

誰かが、モッコで土を運んで、踏み固めて、積み上げた💡

重機なんてありません😳

スコップも、今のような鉄製ではありません🍀

木のシャベルと、人の手と、竹のカゴ🌱

それで58.8メートルです😁

しかも、後円部は二段に築成😊

いったい何人が、何年かけて作ったんでしょうか😄

研究によっては、この規模の古墳でのべ数万人日の労働が必要だったと計算されています✨

数万人日🙌

100人でやっても、何年もかかる計算です😌

それだけの人を動員できる力があった人が、ここに眠っている👀

その事実だけで、もう十分ドラマですよね😆

そして、その古墳の向こうに見えるのが、道の駅の建物です🏠

カーブした、かまぼこみたいな屋根🌱

ガラス張りのモダンな外観🌸

あの中に、歴史民俗資料館も、売店も入っています🛍️

1600年前の土のお墓と、現代のガラス張りの建物💡

それが、同じ写真の中に並んでいる📸

この光景、けっこう衝撃的でした😳

そして手前には、一面の冬枯れの芝生❄️

黄土色の絨毯です😳

遠くには山の稜線⛰️

空は相変わらず曇り🍀

電線が横切っていて、そこがまた妙にリアルで良いんですよね😁

観光地として作り込まれた感じがまったくない😌

町の中に、古墳が普通にある😊

これが、いいんです😄

🪦 1号石室の説明板……模型じゃなくて発掘写真でした(笑)

「詳細は、石室模型の説明板を参照」ということだったので、石室を探しました✨

歩いていくと、地面に金属の枠に囲まれた板が埋め込まれているのを発見🙌

覗き込んでみます👀

『1号石室』と書いてありました🔖

見つけた😌

……と思ったんですが👀

模型じゃありませんでした(笑)😆

説明板です🌸

しかも、載っている写真は発掘調査のときの写真📸

模型そのものではなく、模型の場所に説明板がある、という構成だったんですね💡

まあ、これはこれで面白いので、読んでみましょう😆

「ひさご塚古墳では遺体を納めるための石室が後円部に2基発見されました😳」

2基🍀

さっきの看板にも「二基」とありましたね🔖

それが後円部、つまりひょうたんの丸い方にある💡

右上には、古墳を真上から見た図が載っていました👀

鍵穴の形をした図の、丸い部分に小さな印😁

「ここですよ」ということですね😊

親切です😄

「1号石室は長さ約2.7m、幅約1.5m、深さ約0.5mで、ほとんど壊れていましたが、石棺系竪穴式石室であると考えられます✨」

長さ2.7メートル🙌

幅1.5メートル😌

深さ0.5メートル👀

……これ、けっこう小さいですよね😆

畳でいうと、1畳半くらい🌸

深さは50センチ💡

58.8メートルの古墳の中に、たった1畳半の部屋😳

この比率が、僕にはすごく印象的でした🍀

外はあんなに巨大なのに、本当に大事な部分は、こんなに小さい😁

竪穴式ということは、上から掘って、上から蓋をするタイプです😊

一度埋めたら、もう開けられない😄

一人のためだけの部屋、ということですね✨

そして、ここからが鳥肌ものです🙌

「石室の内部には赤い顔料が塗られ、鉄鏃(矢じり)ガラス製小玉、勾玉などが発見されました😌(歴史民俗資料館に展示中)」📚

赤い顔料👀

石室の内側が、赤く塗られていたんです😆

これ、日本の古墳ではよく見られる特徴で、使われたのはベンガラや水銀朱と呼ばれる赤色顔料です🌸

なぜ赤なのか💡

赤は、血の色であり、火の色であり、生命の色だからです😳

邪気を払い、遺体を守り、再生を願う🍀

そういう意味が込められていたと考えられています😋

1600年前の人が、暗い石の部屋の中を、真っ赤に塗った😁

その赤が、今も残っていた😊

……ちょっと、ぐっときませんか😄

そして出土品は歴史民俗資料館に展示中とのこと📚

つまり、道の駅の建物の中に、本物があるわけです🏠

「造られた時期は、5世紀前半から中頃と考えられます✨」

ここでも5世紀前半🙌

看板と一致しています🔖

そして下に載っていた発掘調査時の写真📸

これが、また良かったんです😌

茶色い土の中に、平たい石がゴロゴロと写っています🍵

大小さまざまな、板状の石👀

きれいに並んでいる部分もあれば、崩れてバラバラになっている部分もある😆

「ほとんど壊れていました」という説明が、写真を見ると一発で分かります📸

そして、左下あたりに、白っぽい細長い石が2本、きれいに並んでいました🌸

これが石室の壁だったのかもしれません💡

1600年の時間が、土の重さと水の流れで、少しずつ石室を壊していった😳

その現場の記録が、この一枚です🍀

「発掘調査時の1号石室」というキャプションが、いい仕事してます😁

🪞 2号石室からは、なんと『銅鏡』が出ていました

1号石室の説明板から、少し移動します😊

すると、もう一枚、地面に埋め込まれた板がありました😄

『2号石室』✨

こちらも読んでみましょう🙌

「2号石室は長さ約1.7m、幅約1.0m、深さ約1.0mで、1号石室の東側につくられていました😌」

長さ1.7メートル👀

幅1.0メートル😆

深さ1.0メートル🌸

1号より、さらに小さいです💡

でも、深さは倍😳

1号が0.5メートルだったのに対して、2号は1.0メートル🍀

横に狭くて、縦に深い😁

形が違うんです😊

「遺体を納める主室部分と入口部分に分かれていて、石棺系横口式石室の一種と考えられます😄」

出ました、横口式✨

1号は竪穴式でした🙌

上から掘って、上から蓋😌

2号は横口式👀

横に入口があるんです😆

これ、ものすごく大きな違いなんですよ🌸

竪穴式は、一度埋めたら終わり💡

一人用です😳

でも横口式は、入口から出入りできます🍀

つまり、後から誰かを追加で入れられる💡

お墓の考え方が、「個人のもの」から「家族のもの」へ変わっていく、その過渡期の形なんですね😁

日本のお墓の歴史って、だいたいこの流れで進んでいきます📚

竪穴式石室から、横穴式石室へ😊

そして、ひさご塚にはその両方がある😄

これ、めちゃくちゃ貴重じゃないですか✨

同じ古墳の中に、時代の変わり目が保存されている🙌

「この中からは銅鏡などが発見されました😌(歴史民俗資料館に展示中)」📚

銅鏡👀

説明板には、その写真も載っていました📸

これが、また美しいんです😆

丸い、手のひらサイズの鏡🌸

表面は、見事な緑青色💡

青銅が長い時間をかけて酸化して、あの深い青緑色になったんですね😳

中心には、小さな突起🍀

これは鈕(ちゅう)といって、紐を通すための輪っかです😁

鏡って、壁に掛けたり、紐で吊るしたりして使ったんですね😊

縁のところは少し欠けていて、薄くなっている部分もあります😄

でも、円としての形はしっかり残っている✨

1600年前、この鏡はピカピカに磨かれていたはずなんです🙌

青銅を磨くと、金色に近い、まばゆい光を放ちます😌

それを手にした人が、この地域のボスだった👀

鏡は、当時太陽の力を宿すものと考えられていました☀️

光を反射するから😆

だから、権力の象徴だったんです🌸

その鏡が、緑青に覆われて、今ここに写真として載っている📸

時間って、すごいですね🙌

「この2号石室は、1号石室より少し後の5世紀中頃以降に造られたと考えられます💡」

1号より、少し後😳

同じ古墳に、時期をずらして2つの石室🍀

親子でしょうか😁

それとも、後を継いだ人でしょうか😊

答えは書いてありませんが、想像するのが楽しいですよね🔖

そして、説明板の右下に、大事な一文がありました😄

「石室はそのまま埋め戻して保存してありますので、このレプリカを展示しています✨天井部の構造は不明ですが、可能性のひとつとして木の板でふたをする構造として復原しました🌱」

なるほど💡

本物は埋め戻してあるんです🙌

掘り出したままにすると、雨風でどんどん傷んでしまいますからね🌬️

だから、調べたら、また土をかぶせて守る📚

そして、見る人のためにレプリカを作って置いてある👀

この考え方、僕はすごく好きです😌

見せることより、残すことを優先する👀

そして、「天井部の構造は不明ですが、可能性のひとつとして」という表現😆

これ、めちゃくちゃ誠実じゃないですか🌸

分からないことを、分からないと書く💡

その上で、こう考えましたと示す😳

こういう看板を読むと、作った人たちを信用できるなって思います🔖

🚪 そして『入口』を発見しました

2号石室の説明板の、すぐ向こう側🍀

ありました😁

石を組んで作られた、入口のようなもの😊

これが、説明板にあったレプリカです😄

枯れた芝生の地面に、ぽっかりと黒い穴が開いています✨

その周りを、平たい石が囲んでいる🙌

入口の両脇には、柱みたいに立てられた石😌

上には、屋根のように何枚も重ねられた平石🏠

そして、中は真っ暗です👀

うわ、と声が出ました😆

これ、思っていたよりずっとリアルなんです😌

ミニチュアのオブジェみたいなものを想像していたんですが、全然違いました🌸

実物大です💡

しかも、ちゃんと本物の石を使ってある😳

形も、雑じゃありません🍀

石の一枚一枚が、微妙に角度をつけて積まれていて、隙間が最小限になるように組まれている😁

上に重ねられた石は、少しずつずらして葺いてあります😊

雨が入らないようにする工夫ですね😄

これ、作った人も相当研究したはずです✨

説明板にあった通り、天井は木の板でふたをする構造として復原されています🌱

言われてみると、上部に木の材が使われているのが分かりました🙌

そして、暗い入口をじっと覗き込んでみます👀

奥行きは、そこまで深くありません😌

1.7メートルですからね👀

でも、暗い😆

この暗さが、なんとも言えないんですよ🌸

ここに、1600年前、人が納められた💡

赤い顔料が塗られた部屋に、鏡と、玉と、鉄の道具と一緒に😳

そして、この入口に石でふたをして、上から土をかぶせた🍀

……😁

ちょっと、背筋が伸びました😊

道の駅の敷地で、こんな気持ちになるとは思っていませんでした(笑)🤣

周りは、一面の冬枯れの芝生❄️

石室の周りだけ、コンクリートで縁取りがされています😄

手前には、あの2号石室の説明板✨

説明板と実物が、セットで見られるようになっているんですね🙌

よく考えられた配置です😌

読んで、見て、また読んで👀

こういう見せ方をしてくれると、素人でもちゃんと分かります😆

ありがたい🌸

ちなみに、ここで前回の記事を思い出した方、いらっしゃいますか😌

鈴田峠では落花生の話をしました🌸

花が落ちて、その根元から伸びた柄が土に潜って、土の中で実がなる🌱

だから掘るまで中身が分からない💡

その前の、いいもりじゃがーロードではじゃがいもでした😳

あれも土の中です🍀

掘るまで分からない😁

そして今回、石室😊

これも土の中でした😄

掘るまで、中身が分からなかった✨

3回連続で「土の中」です(笑)😅

じゃがいも、落花生、そして古代のボス🌸

長崎の土は、ずいぶん色々なものを隠しているみたいです🙌

園芸屋としては、土の中に何があるかを想像するのは日常なんですが🌱

まさか1600年前の権力者まで出てくるとは思いませんでした(笑)😂

🌿 園芸屋の豆知識:古墳を1600年守ってきたのは『芝生』です

さて、お待たせしました😌

「登ったり 芝生で滑り降りたりしないようにしましょう」の話です👀

あの看板、単なるお行儀の問題じゃないんですよ🔖

ちゃんと、理由があります💡

そしてその理由は、まさに園芸屋の領分なんです🌱

まず、古墳って何でできているか😆

土です🌸

石でもコンクリートでもなく、ただの土を積み上げたものです💡

ここ、大事なポイントです😳

土の山って、放っておいたらどうなると思いますか⛰️

崩れます🍀

雨が降れば、表面の土が流されます😁

これを雨食、あるいは土壌侵食といいます😊

風が吹けば、乾いた土が飛びます🌬️

斜面なら、重力でじわじわ滑り落ちます😄

58.8メートル、高さも数メートルある土の山⛰️

これが1600年、雨ざらしだったんです✨

九州の雨量は、年間2000ミリを超える年もあります🙌

台風も毎年来ます🌬️

なのに、形が残っている😌

おかしいと思いませんか👀

普通なら、とっくに平べったくなっているはずです😆

その答えが、芝生なんです🌸

芝の根、見たことありますか🌱

芝生を剥がすと、その下は根がびっしり絡み合った、分厚いマットになっています💡

これをターフとか芝生層と呼びます😳

根が網の目のように土を抱え込んで、まるで土を編んでいるような状態です🌱

この根のネットワークが、土を掴んで離さない🌐

だから、雨が降っても土が流れません🍀

さらに、地上部の葉も重要です😁

雨粒って、地面に落ちるときに意外と強い衝撃があるんですよ😳

裸の土に雨が当たると、土の粒がピョンと弾け飛びます😊

これを雨滴侵食といいます😄

芝の葉があると、雨粒はまず葉に当たって、勢いを失ってから地面に届く✨

クッションになっているわけです💡

これ、土木の世界では法面(のりめん)保護という立派な技術です🌱

道路脇の斜面や、堤防の土手が緑で覆われているの、見たことありますよね👀

あれ、景観のためじゃありません🙌

崩れないようにするためなんです😌

植物の根が、生きたコンクリートの役割をしている🌱

そして古墳は、この技術を1600年前から使っていたことになります👀

いや、正確には、たまたま生えた草が守ってくれた面もあるでしょう😆

でも、結果として、植物が古墳を保存したのは間違いありません🌱

では、なぜ「登るな」なのか🌸

踏圧(とうあつ)です💡

人が上を歩くと、土が押し固められます😳

固まった土は、水を吸わなくなります🍀

水を吸わない土の上を、雨水が流れていきます😁

流れる水は、土を削ります😊

同時に、踏まれた芝は弱ります😄

芝の成長点は地際にあるので、多少の踏圧には強いんですが、限界があります✨

同じところを何度も踏まれると、芝が枯れて、地肌が出ます🙌

地肌が出たところから、雨水が土を削り始める😌

削れた溝に水が集まって、さらに削れる👀

こうしてガリーと呼ばれる溝ができて、斜面は一気に崩れていきます😆

まして滑り降りるのは最悪です🌸

あれは斜面をこそぎ取る行為ですから💡

芝の茎が引きちぎられて、根ごと剥がれます🌱

一回のソリ遊びが、何年もかけて作られた芝生層を台無しにする😳

そう考えると、あの看板は「植物を守ってください」という意味でもあるんですよね🔖

ただのマナーじゃなくて、保存技術の一部なんです🍀

ちなみに、この時期の芝生が黄土色だった理由も説明しておきましょう💡

日本の芝生に使われるノシバやコウライシバは、暖地型と呼ばれるグループです😁

暑さに強くて、寒さに弱い❄️

気温が下がってくると、地上部の葉を枯らして休眠に入ります😊

これをウィンターダーマンシーなんて言ったりします😄

枯れているように見えますが、死んでいません✨

地下の根と地際の茎(ランナー)は、しっかり生きています🌱

春になって気温が上がると、また一斉に芽吹きます🙌

むしろ、この枯れた葉が断熱材になって、根を寒さから守ってくれているんです🌱

そして、枯れた葉でも土は覆われたままなので、冬の間も侵食を防いでいる❄️

つまり、あの黄土色の古墳は、ちゃんと仕事中だったんですね(笑)😆

ゴルフ場のグリーンが冬も緑なのは、寒地型のベントグラスなどを使っているからです❄️

あるいは、冬だけ寒地型の種をまくウィンターオーバーシードという手法もあります😌

でも古墳の場合、そんな手間はかけません👀

素朴に、ノシバで十分😆

むしろ、手をかけなくても生き続けるノシバの方が、1600年の相棒としてはふさわしい気がします🌸

最後に、もうひとつ💡

看板に「海岸に形成された砂礫丘の、標高一五m程の所に築造されており」とありましたよね🌊

砂礫丘😳

砂と小石でできた丘です🍀

これ、園芸屋的に読み解くと、めちゃくちゃ水はけがいい土ということになります🌱

砂と礫は粒が大きいので、隙間がたくさんあります😁

水が入っても、すーっと下に抜けていく😊

粘土質の土とは正反対です😄

なぜ、そこを選んだのか✨

理由はシンプルです💡

水が溜まらないから🙌

お墓にとって、水は大敵です😌

水が溜まれば、遺体も副葬品も傷みます🩹

石室の中に水が入れば、凍結や膨張で石が割れることもあります❄️

そして、盛り土全体が水を含めば、重くなって崩れやすくなります👀

だから、水はけの良い砂礫丘の、少し高いところ😆

標高15メートルというのも絶妙です🌸

海のすぐそばだけど、高潮や津波は届きにくい高さ🌊

そして、海を見下ろせる場所💡

大村湾を統べた首長のお墓としては、これ以上ない立地です😳

……これ、植物を植える場所選びとまったく同じ理屈なんですよ🌱

水はけが悪いところに根を張る植物は、根腐れを起こします🍀

だから、うちの店でも「水はけの良いところに植えてくださいね」と必ずお伝えします😁

盛り土をしたり、鉢底石を入れたりするのも、全部同じ目的です🌱

水を溜めない😊

1600年前の人は、それをお墓の場所選びでやっていた😄

そして、さっきの切間石は、水を分ける技術でした✨

水を分け、水を溜めない🙌

この道の駅、気づいたらずっと水の話をしています(笑)🤣

溜池の切間石、田んぼの灌漑、水車、砂礫丘の水はけ😌

彼杵という土地は、水とずっと向き合ってきた場所なんですね👀

そして水車😆

あれも、水の力を取り出す装置でした🌸

分ける、溜めない、取り出す💡

……見事に三拍子そろっています😳

道の駅の入口にどーんと水車が置いてあるのは、偶然じゃないのかもしれません🍀

📝 今回のまとめ

それでは、【道の駅 彼杵の荘】の前半戦をまとめましょう😁

ひとつめ😊

読み方は『そのぎのしょう』でした😄

そのぎ茶の、そのぎです🍵

ふたつめ✨

住所が「彼杵宿郷」📍

ここは長崎街道の宿場町でした🙌

前回のシュガーロードが、ちゃんと繋がりました😌

みっつめ👀

施設アイコンで「博物館」マークが色付き😆

これまで回ってきた中で、初めての点灯でした🌸

よっつめ💡

切間石😳

溜池から田んぼへ、水を決まった量だけ分けるための石🍀

江戸時代は木、大正からは石、今はコンクリート😁

実物は見つけられませんでしたが、説明を読んで大満足でした😊

いつつめ😄

彼杵の古墳(ひさご塚)✨

全長58.8メートル、県内最大級の前方後円墳🙌

昭和25年に県指定史跡😌

5世紀前半、大村湾周辺を統治した首長の墓👀

むっつめ😆

1号石室は竪穴式で、内部が赤く塗られていた🌸

ななつめ💡

2号石室は横口式で、銅鏡が出土😳

実物大のレプリカが、入口を開けて待っていました🍀

やっつめ😁

そして芝生😊

あの黄土色の冬枯れの芝が、1600年間この古墳を守ってきました❄️

だから、登っちゃダメなんです😄

滑り降りるなんて、もってのほかです(笑)😅

道の駅に来たつもりが、気づいたら歴史と農業土木と植物学の話をしていました🌱

こんな道の駅、なかなか無いですよ✨

正直、ここは時間に余裕を持って来るべき場所です🙌

僕は古墳と公園だけで、けっこうな時間を使ってしまいました😌

だって、説明看板が全部面白いんですもん(笑)😂

そして、まだ資料館にも売店にも入っていません🛍️

お腹も、そろそろ限界です👀

🔜 次回予告

というわけで、次回は【道の駅 彼杵の荘②】です💡

いよいよ、建物の中に入ります🏠

売店には、何があるんでしょうか🛍️

東彼杵といえば、やっぱりそのぎ茶でしょうか🍵

それとも、大村湾の海の幸でしょうか🌊

あるいは、長崎街道の宿場町らしい、甘いものでしょうか😆

……前回の鈴田峠で、買った5品のうち3つが砂糖菓子だったことを思い出しています(笑)😆

シュガーロードの引力、恐るべしです🌸

そして時刻は、もうお昼⏰💡

前回は、レストランが不定休で入れませんでした😳

今回のアイコンには、スプーンとフォークがしっかり色付きで点灯していました🍀

ということは😁

……いや、油断は禁物です😊

アイコンが点灯していても、その日が休みなら意味がありませんからね😋

前回、身をもって学びました(笑)🤣

果たして、今度こそ温かいものにありつけるのか😄

そして、歴史民俗資料館には、あの銅鏡の実物があるはずです📚

見られるのか、見られないのか✨

次回、【道の駅 彼杵の荘②】でお会いしましょう🙌

最後までお読みいただき、ありがとうございました🙏

旅する園芸屋二代目しんのすけでした🌱

それでは、また次回😌

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旅する園芸屋 二代目しんのすけ
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